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人は死なない。そんなワケないだろ・・・でもこれ本当なんです。

人は死なない? スピリチュアルに考える

人は死なない。

こう書くと、多くの人はこの記事を読まずに閉じますよね(笑)
でももう少しだけ読み進めてみてください。
あなたもきっとこの「真実」に納得するはずですから。

このサイトは変なスピリチュアル系のサイトではありません。
ですから宗教色もなければ都市伝説的な与太話もありません。
ものごとをちゃんと考えれば、今まで気付かなかった真実に気付くものです。

ちゃんと考えれば、人は死なない、ということが「理屈」で分かります。理解できます。

いやいや、人は死ぬでしょう間違いなく。
と思っているあなたのその「既成概念」を覆してみようと思います。
そんなこと出来っこないと思いますか?

本記事を最後まで読めば、あなたのその思い込みは見事なまでに瓦解することでしょう。

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「人は死ぬ」は科学がつくり出した「まやかし」です

まず誤解して欲しくないのですが、私は科学否定論者ではありません。

もともと私は大手測定器メーカーでエンジニアをしていたバリバリの理系人間です。
その頃の私は理屈に合わないこと、論理的に説明出来ないことは信じませんでしたので心霊現象とかオカルトのようないわゆるスピリチュアル系は大嫌いでした。

ですから当時の私は科学否定派どころか「科学肯定派」のなかでも最右翼だったように思います。

ところが人事異動で技術畑から営業に移り、様々な人と接するようになりました。
そして多くの人と接すれば接するほど「人って一筋縄ではいかないな」という思いを強くしていきました。

言い換えれば営業という仕事を通して「人は理屈では割り切れない」ということをイヤというほど学ばされたわけです(笑)

つまり、人は「科学では説明出来ない」存在ということです。

同じことをしても、人によって反応はまちまちです。
とても喜ぶ人もいれば、烈火のごとく怒り出す人もいる。
育ってきた環境の影響?そうかもしれません。

でもそれって合理的な説明が出来ないんですよ。
どんな環境で育てばどうなるか、どう逆立ちしても科学のモットーである論理的な説明が出来ないんです。

科学に出来ることは「説明出来ない」ことを合理的に説明することだけです。

人間、育ってきた環境は誰ひとりとして同じではない、だからそうした個々に異なった環境の影響で「同じ出来事」に対する反応も人によって変わってくる。
とは言えても、じゃあどのような環境だったらどうなるのか説明出来ないんです。

科学の説明は「全く同じ環境が再現できないから」です。

仮に全く同じ環境をつくることが出来たとしても、人それぞれ遺伝子が違います。
育った環境という因子以外にも、人が生まれながらに持っている遺伝子などの因子も影響してくる。

だから「説明出来ない」と胸を張る(笑)

こうしたことを多くの人と接する中で実感していくことで、私の中の「科学に対する信仰」が崩壊していきました。
科学は決して万能なものなんかじゃないんだ。

こんな当たり前のことに気付くだけでも大変だったんです(笑)

で、科学では「人は死ぬ」といいます。
だって息を引き取ったら、放っておけば肉体が朽ち果てて挙げ句の果てに骨だけになるでしょう?
それが人が死ぬことの何よりの証拠でしょう。

そして「人は死なない」ということに対しては全否定します。
肉体が機能停止すること、すなわち死でしょう、人は死ぬんです、と。
ここに大きな「まやかし」が潜んでいます。

人の死を「肉体の機能停止」と定義したのは科学です。
広辞苑には死の意味は「命がなくなること」と説明されています。
科学は肉体が命そのものだと言っているんです。

もちろん、肉体も命の一部でしょう。
しかし肉体が命の全てだなんて、私は認めません。
命って、もっともっといろいろなものが集まって出来ていると思いませんか?

「人は死なない」いくつかの理由を考える

科学的には「人=肉体」ですから人の生命は有限です。
肉体が生まれ、数十年後に機能しなくなるまで。
これが科学が「人は死ぬ」と言って譲らない唯一の理由です。

でも科学が万能ではないことは多くの人が知る事実です。
科学とは違った視点で見てみると、必ずしも人は死ぬとは言い切れないんです。
そのへんについて見ていきましょう。

「人=肉体+意識」という考え方

科学の「人=肉体」という考え方ではどうしても合理的な説明が出来ないことが多々出てきてしまいます。

たとえば、前世や過去世の記憶を持って生まれてくる子供の話です。
科学では「脳が勝手につくり出した空想の類い」という説明で一刀両断にしますが、この空想説ではどうしても説明出来ない事例が数多く存在します。

日本で最も有名な話が「小谷田勝五郎の生まれ変わり」です。
江戸時代、多摩地方に実在した8歳の少年が突如前世の記憶を語り出したのです。
自分が生まれる3年前に別の村で死んだ藤蔵という人の生まれ変わりだ、と。

当時の日本では多くの人は生まれた土地から離れることなく一生を過ごしていました。
勝五郎も勝五郎の村の人も、藤蔵の住んでいた村に行ったことなどなかったのです。
ところが勝五郎は藤蔵として生きた村の記憶を正確に持っていました。

誰が教えたわけでもなく、勝五郎が知るはずのない藤蔵の住んだ村の詳細・・・

勝五郎の勝手な空想、で説明出来ない詳細な情報をどうやって知ったのでしょうか?
科学はこうした事例に対していっさいの説明が出来ません。

なお、勝五郎の生まれ変わりについては以下の記事に詳しく説明されていますので併せてお読みくださいね。

▼関連記事▼
生まれ変わりの日本における研究は以外にもかなり古くからあった?(姉妹サイト)

こうした「科学で説明出来ない」事象をどのように解釈すれば良いのでしょうか?
これは「人=肉体」という枠組みで考える限り、答えは出ません。
そこでこの枠組みを超えた、以下のような考え方をしてみます。

「人=肉体+意識」

つまり、人は肉体だけではなく「意識」という形のないものを持っている、と。
そしてこの意識は、肉体がその機能を失っても消失することはない、と考えます。
そう考えてはじめて、前世の記憶も生まれ変わりも死後世界も説明がつくんです。

人は肉体と意識から成る、と考えた場合、主体はどちらになるのか?

これもまた議論の分かれる問題ですが、私は人の主体は「意識」にあると思っています。
意識に主体があるからこそ、肉体が機能停止しても意識だけは生き続ける。
こうした考えはもしかすると奇抜に聴こえるかもしれませんが、スピリチュアル界ではごく一般的な考え方です。

スピリチュアル界では一般的であっても、いままで科学万能だと思って生きてきたあなたにはそんな簡単に受け入れられる考え方ではないかもしれませんね(笑)

では、もうひとつの考えはいかがでしょうか?
こちらなら、意外とすんなり受け入れられるのでは?

自分以外の人の「記憶」として生き続ける

あなたの肉体が機能停止すると、あなたという「形」のある存在は消失します。

科学ではこの消失とともに、今まで生きてきた記憶や思い出、楽しかった体験や辛かった経験、家族とすごした掛けがえのない時間など、すべてが消えてなくなると言っています。
なぜならこうした記憶は全て肉体の一部である「脳」に存在したものだから、と。

この説明は「人=肉体」という科学の枠組みの範疇で考える限り正しいのでしょう。
ただこの説明は、とてもザラついた嫌な感触がありませんか?
もしこれが本当なら、私たちはいったい何のために生まれて来て何のために生きるのか?

この「そもそも論」に納得できる答えが出せないような説明を受け入れることはできません。

私は肉体の機能停止とともに、今まで生きてきた全ての記憶が消えてしまうなんてことはないと思っています。
仮にあなたという「形」は消えてなくなってしまうとしても、あなたの家族の、友人の、知人の心には「あなたが生きた証」が確実に残ります。

あなたと過ごした時間、楽しかった思い出、一緒に歯を食いしばって耐え抜いた試練・・・これらはあなたという「形」が消えてしまっても、決して消えることはありません。
あなたの周りの人たちの心に、あなたはこれからもずっと生き続けるんです。

私の父は数年前に他界しましたので、父の肉体はすでに存在しません。
でも今でも毎日のように、事あるごとに父のことを思い出します。
ああ、こんなときオヤジは笑っていたっけ・・・なんてね。

そうなんです。
今でも父は私の記憶の中で鮮明に生きているんです。
事あるごとに出てきては、私に進むべき道を教えてくれます。

私は思うんです。

これって父が生きていたときの思い出や記憶ではないんだって。
だって、私が道を迷っているときには「何を迷ってんだ、どっちに行けば良いかわかってるだろ?」と話しかけてきます。

生前の父が私にそんなこと言ったりしませんでしたから(笑)

これ、私の勝手な想像でしょうか?
私の妄想なんでしょうか?

そんなことないですよね?
誰だって他界した人が自分の心の中に現れて何かを教えてくれた経験、あるんじゃないですか?
何だかとても温かい気持ちになって、勇気づけられたことあるでしょう?

私はこれこそが、人が死なない証拠だと思うんです。

他にもありますよ。
たとえば自分の指先の爪の形を見て「なんだかオヤジの爪の形にそっくりだな」なんて思ったりする。

これ、遺伝子的に肉体の様々なところが父親や母親に似るのは分かっているんですが、それを見て他界した父のことを思い出すんです。
そして自分の心に何かを残していく・・・なにか大切なものを。

事ほど左様に、人は「形」を失っても周りの人たちの心の中で生き続けるんです。

人は死なないんです。

まとめ

今回は「人は死なない」と言うことについて、ひとつの考え方を提示させてもらいました。

あくまで私の考えであり、これが世間一般の常識とは異なるものだと言うことはよく分かっています。
今回私があなたに伝えたかったのは、死ぬということについて真剣に考えてもらいたいということです。

人間、肉体はそう遠くない将来に必ずその形を失います。
これだけは100%確かなことです。

形がなくなっても意識だけは生き続けるにしても、形があるときにしか出来ないことだってたくさんあるはずです。

来たるべき「そのとき」を迎える前に、その瞬間までどう生きるかを考えてみても良いんじゃないか・・・そう思うんです。

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