私たちが普段から当たり前のように使っている「想像」という言葉と「創造」という言葉。
このふたつの意味の違いについてご存知ですか?
辞書を引いたり、他のサイトのように違いや使い分けを説明したものを読めば、表面上の違いは誰でも簡単に調べることが出来ます。
でも実はこのふたつ、同じ意味になるって説明している辞書はありません。
同じじゃないんだから同じだなんて説明してる辞書、あるわけないでしょ。
とお思いですか?
しかし、ある側面においてこのふたつの言葉は「同じ意味」になることがあるんです。
今回はそんな摩訶不思議な話をしてみたいと思います。
どうか最後までお付き合いくださいね!
まずは想像と創造の一般的な意味を知ろう
本題に入る前に、普通にこのふたつの言葉の意味を調べると以下のようになります。
実際に見たり経験したりしていない事柄を頭の中に思い浮かべること。
出典:明鏡国語視点第二版(大修館書店)
新しいものを初めてつくり出すこと。
出典:明鏡国語視点第二版(大修館書店)
こうして辞書で調べてみると、意味はまったく違いますね。
端的に言ってしまえば、「想像」とは頭の中でイメージすることで「創造」とは未だ存在しないものを何らかの方法でつくりだすこと、という意味です。
具体的には、
片思いの女の子とドライブデートすることを頭の中でイメージするのは「想像」
世界初の新技術を開発するのは「創造」ですね。
で、多くの人はこのふたつは「違うもの」だから、場面によって正しく使い分けましょうとか言います。
でも本当にこのふたつは違う意味なんでしょうか?
想像は創造
私はヘミシンクのトレーナーをしている関係上、スピリチュアルな面についても深く関わっています。
ヘミシンクについては以下の記事を参照してくださいね。
▼関連記事▼(姉妹サイト)
ヘミシンクについて、その真実の姿を専門家が余すことなく説明します
ヘミシンクのセミナーでは、参加者に「想像は創造ですよ」という説明をしています。
この言葉について、今回はヘミシンクを知らない人にも分かるように説明してみたいと思います。
ヘミシンクでは、人間の本質は肉体ではなく意識にある、肉体と意識は独立した存在で条件が整えば意識は肉体から離れて様々な体験をすることが出来る、と考えます。
太古の昔から人間はこのことを知っており、時代や国、文明の違いはあれど様々な方法で自らの意識を、肉体を超えた「なにか」と交信しようと試みてきました。
世界中に残っている古代遺跡には、そのことを感じさせるものが数多くあります。
イギリスのストーンヘンジ、エジプトのピラミッド、マヤ文明、ナスカの地上絵・・・
しかし考古学者たちはこれらを科学的な視点で説明しようとします。
私から言わせれば、それは所詮ムリな話です。
中でも私がいちばん笑っちゃうのが「ナスカの地上絵は雨乞いの儀式のために使った」とかいうものです。
そんなわけないでしょう、確かにナスカは乾燥した土地ですが、雨乞いにあんなに大きくて地上からでは何が描かれているのかも分からない地上絵をつくったなんて・・・
それもひとつやふたつじゃなくものすごくたくさん(笑)
科学的な説明という、妙な手枷足枷を自らに課すことで、こんな素っ頓狂なことを真面目な顔をして言ってしまうんです。
こうした古代遺跡がどういう目的でつくられたのか、それが謎だからってすぐに宇宙人だとか神だとかを持ち出すのもどうかとは思いますが、考古学のアプローチもこれらと大して違わないということですね。
存在するものとしないものの違いとは?
話を本題に戻しましょう。
想像するとは頭の中で自由に思い描くイメージのこと。
創造するとはまだ存在しないものを新たにつくり出すこと。
でしたね?
想像と創造、このふたつは意味合いとしては違ったものですが見方を変えると両者は全く同じものになってしまうんです。それは、
生命エネルギーの発露
という視点です。
ちょっと何言ってんだか分からない、と言う人も多いと思いますのでもう少し咬み砕いて説明してみますね(笑)
どちらも存在しないもの
まず、想像について考えてみます。
想像は頭の中で自由に勝手に好き放題に何でもイメージしてOKです、その結果としてあなたの頭の中につくり出されたものが「想像」の産物です。
想像するものはどんなものでも構いません。
片思いの女の子とのデートの場面でも、大嫌いなヤツが失敗して赤面しているところでも、あなたが住みたい理想の家でも、宇宙旅行でも、本当に何でもOKです。
つまり、想像するものが実在していようがいまいが関係ない、ということです。
だってあなたの自由なんですから。
ただひとつ共通しているのは「今現在この瞬間は」それは存在していない、ということ。
嫌いなヤツは実在していても、そいつが今この瞬間、あなたの目の前で失敗して赤っ恥をかいてはいないですよね?
住みたい家ももしかすると実在するものかもしれませんが、今あなたが住んではいないですよね?
次に創造について考えましょう。
創造とは「まだ無いもの」を新たにつくり出すことですから、総じてこの瞬間には存在しません。
つまり想像も創造も、今この瞬間「存在していない」んです。
存在すらしていないのに、私たちはこのふたつの言葉を普通に当たり前のように、そして頻繁に使っています。
何だか不思議な感じがしませんか?
想像が先で創造はあと
想像も創造も存在しないと言いましたが、それは「今この瞬間」の話です。
これに時間というスケールを加えてみると、事情は一変してしまいます。
結論を先に言いますね、
想像はそれ単体ではいつまで経っても現実として存在することはないが、時間の経過とともにそれが創造されたとき、はじめて形を持った現実となる。
ちょっと難しいですか?
ひとつ例を出して説明してみましょう。
あなたには片思いの女の子がいます。
あなたはその子と付き合えたら良いな、と思っています。
そしていつも頭の中でその子とのデートの場面を想像しています。
この瞬間、あなたとその子は付き合っていませんよね?
あなたの思いは募り、どうしてもその子と付き合いたいと強く思うようになっていきました。
そしてあなたはその子に「付き合って欲しい」と告白し、なんと「イエス」の答えを貰います。
あなたは晴れてこの子を自分の彼女にすることが出来ました。めでたしめでたし(笑)
ここで整理すると、まず想像(あの子と付き合っているところ)があり、その後あなたの思いが募って告白します。
その結果、あなたと片思いだった子は付き合い始めた。
あなたは「想像」したイメージを自らの行動によって望む結果を「創造」したんです。
つまり、想像も創造も「望む結果」という側面から見れば同じことなんです。
こうなりたいな、こうなったら良いな、という結果がありそれをイメージする。
それが「想像」であり、それを現実のものにするために行動することが「創造」です。
お分かりですね?
想像するだけでその先何もしなければ、それはただ「想像」しただけで終わります。
でもその想像を現実のものにしたいと思うことで「創造」のための原動力が生まれる。
ですから想像は単独で成り立ちますが創造は決して単独では成り立たないんです。
想像し創造する。
そのための原動力があなたの「生命エネルギー」です。
こうなりたい、こうしたいというあなたの強い思い、願望が行動を起こす。
このプロセスをわかりやすく書くと以下のようになります。
想像 → 生命エレルギーの発露 → 行動 → 創造 → 結果
手にしたい結果への思いが「想像」であり、それを何としても手にしたいという強い願望(エネルギーの発露)が行動を起こし、結果を創造していく。
こう考えると想像も創造も同じですよね?
まとめ
今回は「想像は創造」について考えてみました。
国語の辞書に載っている意味は確かに違いますが、あなたが何かを手にしたいという思いから見ると同じことなんですね。
言葉の意味は辞書で調べることが出来ますし、用例についても辞書やネットで調べることが出来ます。
しかしながら、こうしたメンタルな側面から捉えるとそうした「お勉強」では得られない気付きがあったりします。
そして、そうした気付きがあなたの日常を少しだけ変えてくれるかもしれません。
当サイト「日常啓発」は、そんなお手伝いをしています。
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他では得られない気付きがきっとありますから。