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自分基準と他人基準の違いから私たちが学ぶべきこととは?

自分基準と他人基準の違い 対人関係のコツ

自分基準とか他人基準とか。

どちらが良いとか悪いとか、そういう話ではありません。
人それぞれ、性格や立場、状況などにより自分が好むと好まざるとに関わらずどちらかの立場を取っていることもあるでしょう。

ただ、この基準って自分を生きやすくも生きにくくもしてしまう。
それだけに、自分基準、他人基準をしっかりと理解しておくことは大切です。

ということで今回は、自分基準と他人基準について考えていきましょう。

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自分基準と他人基準

まず、自分基準とか他人基準ってどう言う意味でしょうか?
それぞれの意味について知っておきましょう。

自分基準とは、ものごとの判断基準・価値基準が自分にある人、
他人基準とは、ものごとの判断基準・価値基準が他人にある人のことです。

もともと最初にこの概念を唱えたのは心理学者のカール・グスタフ・ユングです。
ユングは自分基準の人の性格を「内向性」他人基準の人の性格を「外向性」と呼び区別しました。

内向性の人(自分基準の人)は自分の内面に関心が高く、周りの人からは「社交的ではない」とか「人づきあいが苦手」みたいに見られがちです。
これは外部との協調や同調に向くエネルギー量が自分自身に向けられるエネルギー量に比べて低いため、結果としてそう見えてしまうということです。

これに対し外向性の人(他人基準の人)はエネルギーが自分自身に向けられるよりも世間とか社会全体に向けられる方が多いため、他人との同調・協調していくことで社会との関わりを強めようとします。
結果として「社交的」「営業向き」みたいに見られる傾向にあります。

ただし、人の性格が外向的・内向的というふたつに分類されるという意味ではありません。
白と黒の間に無限の階調が存在するように、人それぞれ微妙にエネルギーバランスは異なります。

自分のエネルギーバランスに素直になる

まず、自分自身のことを考えてみましょう。

あなたの性格は外向的でしょうか内向的でしょうか?
もちろん「やや内向的気味かな」とか「ほとんど中間だけど状況によっては外交的かも」みたいな位置づけでも全く問題ありません。

自分自身の性格を冷静に素直に正直に見つめてみてくださいね。

こういう「冷静な自己性格判断」がなぜ必要かというと、性格というのは一朝一夕には変えることが出来ないからです。

そして自分の性格=自分のエネルギーバランスが分かったら、そのポジションから大きく逸脱しないようにすると「生きにくさ」が和らぎます。

たとえば自分が内向的な性格だったら、自分基準で生きていけるような生き方、たとえばエンジニアとか職人とかライターとか・・・

逆に内向的な人が営業とか経営者のような生き方を選び世間体を気にするような毎日を送ると、大きなストレスを抱え込むことになってしまうことでしょう。

よく自己啓発本や起業の社会人研修なんかで対人スキルアップの手法とかを教えたりしますが、正直に言えばこれは意味がありません。
たしかにノウハウを知ることは出来ても、自分の性格上「やりたくない」と思うことを無理やりやろうとしても、そうそう身に付くものではありません。

自分に「合わない」ことを続けていると多大なストレスを溜め込んでしまい心身ともに疲弊してしまいます。

自分のエネルギーバランスを正確に知っていれば、そこから逸脱するような状況に身を置くことを避けられます。

サラリーマンやOLなど、人事異動によって自分に「合わない」職場への異動担った場合は、自分ではその状況をどうにか出来ないケースもあるかと思います。

しかしストレスが蓄積していくことであなた自身のメンタルが崩壊してしまう状況までいってしまうと、そう簡単に元に戻ることが出来なくなる可能性もあります。
そうなってからでは手遅れですから、社内に相談できる窓口があるなら早めに相談することをお勧めします。

社内にそうした窓口がない場合には、心理カウンセリングを受けてみる等も検討すると良いでしょう。

対人関係をエネルギーバランスから考えてみる

さて、人それぞれのエネルギーバランスがあるということは、極論すれば人それぞれ「見える世界」が違うということです。

たとえば海が好きな人は海を見て心が和むでしょうが、海が嫌いな人は海を見て不安を感じるかもしれません。

同じものを見ても、人によって見える「景色」が違うということです。

え、海は海だろう、誰が見ても同じじゃないの?
と思った方、危険ですよあなたの考え方。

自分が観ている世界が、他の人が観ている世界と同じだと思っている人は、自分にとっては当たり前のことは他の誰にとっても当たり前だと思っています。

そういう人は平気で「おまえ、こんな簡単なことも分からないのか」とか「嫌でも職場の飲み会に参加するのは当たり前のことだろう」とか「もっと真面目にやれよ」とか「自分の価値基準」を押しつけてきます。

いいですか?

あなたにとっては「簡単なこと」でもその人にはとても難しいことかもしれない。
飲み会に参加するのは「当たり前」と思っていても、そう思わない人もいかもしれない。
あなたには「真面目」にやっていないように見えても、その人は精一杯真面目に取り組んでいるかもしれないんです。

観ている世界がまったく違う、ということだって多々あるんですよ。

あなたとその人は、どこまで行っても「同じ世界」を見ることがないかもしれない。
二人の世界が「交わる」ことはないんです。そういう人もいるんです。
そこはお互い理解する必要があります。

だったら、お互いの世界を尊重しましょうよ。

自分の世界観・主義主張を押しつけるようなマネは止めましょう。
特にあなたが上司だった場合、このことは特に気をつける必要があります。

自分以外の世界に踏み込むべきではない

よく「相手の気持ちを考えて」とか「相手の立場を尊重して」とかいいますが、これは相手が何を考えているかを知ることが出来ないからです。

あなたが見ている世界はあなた以外の人は誰ひとり見ることはできません。
同様にあなたはあなた以外の人の世界を見ることは出来ないんです。

すべての人間は「自分だけの世界」を見て生きています。
どこまで行っても決して他人と交わることはありません。
他人が何を考えているのか、どうして欲しいのかなんて永遠に分かりません。

だから互いに意見や考えを言い合うんでしょう?

自分はこう考えている、こうすべきだと思っている、君はどう思う?
僕は君の考えとはまったく違うから、君の考えには納得できない。
君の考えも分かる部分はあるが、もう少し柔軟な方向を探ってみないか?

こうした議論が必要なのは、人それぞれがみな「違う」からですよね?
何が違うのか?世界がです。見ている世界が違う。

それぞれが違った世界を見ているもの同士で共通する結論を見いだすためには、全員が納得できる結論が必要です。
当然、全員が納得する結論なんてそう簡単に見いだすことなんて出来ません。

だから「多数決」というルールが必要になるんです。
納得できない向きもあるとは思うが、限られた時間の中で共通の結論を得るために「より多くの人が賛同する」結論を「共通の結論」とする、という決め事が多数決です。

これは組織の中では必要なルールですが、個人レベルでの人間関係に適用するのは問題有りです。

違った世界を見ている二人がどちらかの世界に合わせたり、二人の観ている世界とは異なる第三の世界を共通認識とすれば、それはストレスの元になります。
ですから基本は「互いの世界には踏み込まない」ことです。

そうすれば無用な争いごとも確実に減ることでしょう。

まとめ

人はみな、自分独自の「基準」を持っています。

とかくお偉いセンセー方はこうしたものごとを一般化したがります。
そして自分基準の人は内向性の性格で他人基準の人は外向性の性格とか小難しい名前をつけて説明したがります。

ごく大雑把にはこうした区分は「分かりやすく」するという意味では有効です。

ですが人間はひとりひとりがすべて異なった存在ですから、見ている世界が全て異なります。
自分基準の人と他人基準の人が交わらないのは勿論ですが、究極的には人間は誰とも交わることはないんですね。

だから互いを知り、理解するためにコミュニケーションをとるんです。
自分と違った部分を認め合うために「思いやりの心」を持っているんです。
互いを補い合うために友達になるんです。

互いに「分かり合えない」存在であるからこそ「分かり合おう」とする。
それが人間社会なんですね。

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