今回は、最近はやりの引き寄せの法則に代表される「手放す」ということについて考えてみたいと思います。
正直、そろそろ化けの皮が剥がれはじめている感も否めない引き寄せの法則ですが、昔からスピリチュアル界隈や心理学などでもこの「手放す」というのはよく言われていることです。
何かを手放すことで欲しいものが手に入る。
手に入れたいものがあるのなら、そのために不要なものは手放す必要がある。
手に入れたいという「思い」を手放したとき、それは手に入る。
このような言い草をあなたもきっと聞いたことがあるでしょう?
でもこれって、本当にそうでしょうか?
何かを手放して、手に入れたいものが手に入りましたか?
手に入ったとして、それは何かを手放さなければ手に入らなかったでしょうか?
手放すことの本質とは?
なぜ、何かを手に入れるために別の何かを手放さなければいけないのでしょう?
ある自己啓発書には次のように書かれています。
また、別のスピリチュアル系の本には次のように書かれています。
どちらも一見もっともらしい聴かしますよね?
世の中の自己啓発書やスピリチュアル系の書籍などは、こうした考えに立脚していると言えます。
しかしながら、どちらも私には到底納得のできない考えといわざるを得ない。
その理由をこれから説明していきますね。
持ちきれないから何かを手放す?
まず前半の自己啓発書の言っている内容についてです。
何かを手に入れるためには何かを手放す必要がある。
これって一見ものすごく理に叶っているように聞こえます。
でもよく考えてみると、とんでもなく意味不磨異な事を言っていることに気付きます。
新しく何かを手に入れるために、なぜ何かを手放す必要があるのでしょうか?
あなたが持てるものには何らかの制限があると言うことでしょうか?
たとえばあなたがサラリーマンで、毎日残業で帰りが遅いとしましょう。
もうこんな日々うんざりだ、何か資格でも取って新たなフィールドに踏み出そう。
そう思って、あなたは資格取得のための通信講座に申し込みます。
でも毎日帰りが遅いため、帰宅してから通信講座の勉強時間を確保するのが難しい。
でも何とかしようと、あなたは睡眠時間を削って勉強時間を確保します。
何かを手に入れるためには他の何かを手放す必要がある、勉強時間を確保するために睡眠時間を減らす、あなたはそういう選択をしたことになります。
これって当然のことのように思うかもしれませんが、そのうち無理がたたり対象を壊す危険さえありますよね?
果たしてこれは正しい選択と言えるのでしょうか?
別の選択肢を考えましたか?
残業で毎日帰りが遅いサラリーマンのあなたが、新たな資格取得を目指す。
まず、この選択肢が本当に正しかったのでしょうか?
資格取得にはそれなりの時間と労力が必要になります。
時間のないあなたが、なぜさらに時間が必要な方法を選択したのでしょうか?
そもそも現状に疲れ切ってしまったから別の道を模索しはじめたんでしょう?
だったら資格取得は選択肢として正しかったのかどうか?
他に選択肢はありませんか?
今のあなたの状況ありきで考えて、何かを手放さなくてもできることは本当にありませんか?
そこをしっかりと見つめてみて、なにも手放さなくてもできることがあるなら、まずはそれを手にしてみてはいかがでしょうか。
そういう選択肢があるのに、あえて何かを手放さなければできないことをするのは違うと思いませんか?
あなたなりに探してみたけれど、何も手放さずにできることがないというなら、その時初めて何かを手放すことを考えれば良いのではないですか?
どうしても何かを手放さなければならない状況以外では、手放すことは考えるべきではないと私は思います。
手放すって、失うという意味ですからね。
強い執着を手放す
次に後半のスピリチュアル本の内容について。
これはスピリチュアルの世界ではある意味「常識」であり、願いは叶うものなんです。
ただし、上辺の願い事が叶うという意味ではなく本当の意味でのあなたの「思い」が具現化してしまうと言うことです。
ですから「こうなったらいいんだけど、ムリかなぁ・・・」という思いは、本音は「ムリかなぁ」の部分にありますから結果として「ムリかなぁ・・・」が叶うんですね。
これは建前がどうであれ、「本音が叶う」ということです。
つまり大切なのは、あなたの本音がどこにあるか、これだけです。
心の中で「こうなったら良いのにな」と思っているということは、どこかで「ムリだろうな・・・」という本音があるからです。
こうなりたい、という思いがあってそれが手に入ると本音の部分で確信しているなら「こうなったら良いな」なんて思いませんからね。
それを手にするために具体的にすべきことを考えている筈なんです。
あなたの思いがそこに至らず「こうなったら良いな」と夢見ている段階で、すでにムリが確定しています。
ですからそうした思いを手放すだけで手に入れたいものが手に入るなんてことはないんです。
重要なのは、その「思い」を手放す努力ではなく、手に入れたいものが手に入ると「確信できる」自分になる努力です。
それをせずに、ただ「思い」だけを手放したところで何も変わりません。
手放すことの本当の意味とは?
もうお分かりですね?
あなたがすべきは「手放す」努力をすることではなく、手に入れたいものを手にするに相応しい自分になる努力をすることです。
何かを手放せば新たな何かが手に入るわけでも、強い執着を手放せば欲しいものが手に入るわけでもありません。
必要なのは手放すことではなく、あなた自身の変化です。
あなた自身が変化して、手に入れたいものを手に入れるに相応しい状態になれば、それは何の努力をすることもなくあなたの手元にやって来ることでしょう。
そして今までのあなたに相応しかった何かが、あなたの変化とともにあなたから去って行くことでしょう。
でもこれは自然の成り行きですから、あなたが手放すというのとはニュアンスが異なります。
つまり、手放すというのはあなたが意図してすることではなく結果としてあなたのもとから去って行くと言うことなんです。
この点をほとんどの人は理解できていません。
まとめ
今回は、手放すことの意味について考えてみました。
ただ単純に手放すだけで何かが変わるなんてことは絶対にありません。
そんな単純なことであなたの人生が好転するなんて考えないでくださいね。
本当に幸せになりたいなら、本当の意味で充実した人生を送りたいなら、今回説明した内容についてご自身でもう一度じっくりと考えてみてください。
いまあなたに必要なことは何か、きっと明確になることでしょう。