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神頼みって本当に効果あるのか?誰も知らない祈りの真実を探る。

苦しいときの神頼みは効果あるか? スピリチュアルに考える

苦しいときの神頼み。

これは普段は神への信仰を持ってもいないくせに、いざ自分が窮地に立たされたときだけ神さまにお願いするような人のことを揶揄したことわざですね。

信仰する宗教にかかわらず、信仰心の強い国の人たちが神頼みをするのは普通のことのように思えますが、さほど信仰心の強くない日本においてさえ苦しいときには神頼みをするのは一般的なことのように思えます。

神頼みということばが普通に使われること自体、日本にも神頼みの文化が根付いていることは疑いようのない事実と言えましょう。

さて、神頼みって本当に効果があるのでしょうか?

私は神頼みは間違いなく効果があると信じています。
今回はその辺について考えて行きたいと思います。

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神頼みをするのは人間の弱い心の反映か?

よく「成功を神頼みで手にするなんて自分に自信がない証拠」みたいなことを言う人がいます。
自分が手にした成功や名声、富はすべて自分の実力のなせる技であり、実力の伴わないヤツがいくら神頼みしたって意味がない、ということなのでしょう。

実力さえあれば、神頼みなんてしなくても何でも手に入る。

とでも言いたいのでしょう。
私から言わせれば、なんとも傲慢で世間知らずという感じですが(笑)
世間知らずと言うより、世界そのもののルールも知らない人なのね、と。

そういう人は自分の実績は自分ひとりで築き上げたと思っています。
自分ひとりの力で何でも手に入るなんて、本気で考えているのでしょうか?
まあ、一時的に富や名声を手にしたとしてもこういう人は決して長続きはしません。

なぜなら、世界はすべての人に平等だからです。

誰かだけを一人勝ちさせるなんてことは決してしません。
それが分かっていれば、自分の富や名声だって他の人たちと平等に分かち合うべきだと言うことが分かるはずですよね?

あなたのすべては誰かのお陰

よく考えてみてください。
あなたが手に入れたい何かを手にするために、どれだけ多くの人が協力してくれたのか。

友人が「お前ならできる、大丈夫だ」と励ましてくれませんでしたか?
毎日帰りが遅いあなたを、奥様が温かい食事を作って待っていてくれませんでしたか?
資金繰りが困難なときに黙ってお金を貸してくれた人はいませんでしたか?

あなたがその世界に進むことを学校の先生が応援してくれませんでしたか?
テストの成績が悪かったときに父親が「お前は何でもできるんだから頑張れ」と励ましてくれませんでしたか?

風邪を引いて高熱があったとき、一晩中あなたに付き添ってくれた人がいませんでしたか?
そしてなにより、あなたを産んで育ててくれ、溢れんばかりの愛情を注いでくれたお母様。

あなたがこれまで生きてきたあらゆる瞬間に、あなたと関わってきた人たちがいるんです。

あなたが今ここにいられるのは、あなたの富や名声は、そうした数え切れない人たちのお陰なんだということをちゃんと理解していますか?
理解できていれば「すべては俺さまの実力」なんて言葉は、絶対に出てきませんよね。

あなたのどこをとっても、ひとつ残らずあなたひとりで成り立っているものなんてないんです。

俺が俺がの我を捨てて、お陰お陰の下で生きる。

むかしある人が言った言葉です。
誰が言ったかも覚えていませんが、とても印象的な言葉です。
自分(我)を主張するのではなく、自分はいろいろな人のお陰で生きていられる、ということを常に肝に銘じよ、という教えですね。

どんなに富を築いても、どんなに名声をほしいままにできても、それはすべてあなたの周りであなたに関わってくれた人たちがいてくれたから。
あなたと関わったすべての人の「お陰様」なんです。

巡り合わせの妙

そうした人々との巡り合わせがあってこそ、今のあなたの地位や名声があるのだとしたら、なぜあなたはそうした人たちと巡り会えたのでしょうか?

よく「類は友を呼ぶ」と言いますよね?

これって、同じ考えや同じ空気を持った人が集まってくるという意味です。
明るい性格の人の周りには明るい人たちが集まるし、人を騙して自分だけ得をしようとするする人の周りには同じようにあなたを騙して得をしようとする人が寄ってきます。

ですから「俺の成功は俺の実力、誰のものでもない」なんて言っている人には同じような人たちが寄ってきますから、ちょっとでも油断すればあっという間に足もとをすくわれてしまいます。

今のあなたの周りを見渡してみてください。
いかがですか、どんな人たちがあなたの周りにいるでしょうか?

神頼みの本当の意味とは?

さて、本題に入りましょう。

神頼みには果たして効果はあるのか?

冒頭で私は「あると信じている」といいました。
これからその理由について説明していきたいと思います。

前段で

あなたがこれまでに関わってきた人たちはすべてあなたの人生に関係していることを説明しましたね?
では、なぜあなたはその人たちと関わることになったのでしょうか?

普通に考えれば「単なる偶然」ですよね。

たまたまあなたのご両親の間に生まれた
たまたま同じ学校の同級生だった友人と今でも仲良くしている
たまたま参加したイベントで今の奥様と知り合った

これらはあなたが事前に計画することのできない「出会い」によってもたらされた人間関係です。
そうした偶然の連続が今のあなたを形成するために大きな役割を果たしているんです。
これらは「偶然」と言っていますが、もしも偶然ではないとしたらどうでしょう?

なにを馬鹿げたことを(笑)
人との出会いなんて偶然以外の何物でもないだろう。
と、あなたは思うことでしょう。

確かにこれらの出会いを偶然ではないと言ったところで、それを証明することはできません。

科学的には証明できないためこれらの出会いは「偶然」と言わざるを得ませんが、スピリチュアルな視点で考えてみると、これらの出会いは決して偶然ではないんです。

スピリチュアルな視点はバカに出来ない

スピリチュアルな視点というと、何となく雲を掴むような印象を持たれる方も多いことでしょう。

しかしながら、スピリチュアルな視点というのは決して怪しいものなのではなく、しっかりとした考えに則ったものなんです。
誤解を恐れずにスピリチュアルの視点について説明すれば、

確かに存在はするが、科学的な検証が困難または現段階で不可能な現象を考える視点。

こう説明すると何となくご理解頂けますでしょうか?
たとえば死後世界について、科学ではその存在については否定しますが、それは死後世界の存在を合理的に検証できないから「そんなものは存在しない」と言っているに過ぎません。

死後世界の存在を証明できないのと同時に、存在しないことの証明も出来ませんよ。

科学では死後世界の存在を認めませんから、死んだら無、と説明します。
無ですからなにもない、ということですよね?
このため死後世界のみならず前世や過去世、生まれ変わりもすべて認めません。

だって死んだら無なんですから、死んだ後の世界や死んでしばらくして別の人間として生まれ変わるなんてあり得ません、無なんですから。
無というのは「なにもない」ということですからね(笑)

お陰で前世や過去世の記憶を持っている人や臨死体験などについて説明ができません。

ではスピリチュアルな視点はどうでしょうか?
スピリチュアルでは死後世界は「ある」という立場をとります。
これにより前世や過去世、生まれ変わりについてもスッキリと説明がついてしまいます。

科学的な確証を示すことはもちろんできませんが、科学では説明出来ない事柄の多くをある程度納得できる形で説明出来てしまうんです。

そういう意味でスピリチュアルも、あながちバカには出来ません。

スピリチュアルに考えた場合の神頼みとは?

スピリチュアルの視点では、人間は肉体だけの存在ではなく「肉体+意識」で成っていると考えます。

科学では意識は肉体の一部である脳がつくり出したものと考えるため、死ぬと肉体が機能停止し、従って脳も機能停止し、脳がつくり出していた意識も消失してしまうと考えます。
つまり科学において死は、すべてが無に帰すという意味なんですね。

仮に科学の視点が正しいとしたら、人間はいったい何のために生きるのでしょう?
どんなに素晴らしい人生を送ったとしても、最後にはすべてが消失してしまう。
消えてなくなってしまうために私たちは生きている・・・これって納得できますか?

スピリチュアルでは、意識は肉体とは別に独立した存在であると考えます。

つまり、私たちの死とは肉体の機能停止のことであり、意識も一緒に消えてなくらるわけではない、意識は肉体から離れて死後世界に移行すると考えます。
意識はもともと形がない(非物質)ですから、肉体の機能停止後には形の無い世界、すなわち非物質世界へと移行するわけです。

死後世界とは肉体を持ってはいけない「非物質」な世界なんですね。

こう考えることで、死後世界に関しても説明出来ますし、前世、過去世、生まれ変わりについても説明することができてしまいます。
さらに体外離脱(幽体離脱)のようなオカルト現象についても説明がついてしまうんです。

そして死後世界とは非物質世界ですから、肉体を持っていたときとは違いすべての意識は繋がっていると考えます。
繋がっているため、他の意識が考えていることもすべて分かってしまうんですね。

互いに理解し合えない状況、というものが存在しないため、生きているときのように誤解が原因の対立とかいがみ合い、憎しみのような感情はそもそも存在しません。

生きているときとはまったく違う「死後世界」

私たちがいま生きている世界、それはあらゆるものが物質として存在する世界、すなわち「物質世界」です。

物質世界の特徴は、あらゆるもの(物質)が個別に存在し、それぞれに固有の個性があると言うことです。
あなたにはあなたの個性が、私には私の個性が、犬には犬の個性が、石には石の個性がある。

そして個々は決して混ざり合うことがなく、従って互いを理解することができません。

このため、私たちは相手を理解しようとさまざまな形でコミュニケーションをとろうとします。
話をする、見つめ合う、ふれあう・・・こうしたコミュニケーションを通して相手を理解しようとするわけです。

対して死後世界。

死後世界は物質が存在しない非物質世界ですから、物質を支配する物理法則に縛られることがありません。
あなたとか私とかという区別もなく、こことかあそこという空間概念もない。
加えて過去とか現在、未来という時間概念もありません。

つまりすべてがひとつなんです(ひとつという数えられる概念も実はないんですが)

死後世界にいるすべての意識は言わばひとつです。
あなたも私も生まれ変わる前の私も、そのまた更に前の私もすべてひとつ。
過去も現在も未来もここもあそこも何もかも・・・

すべてがひとつと言うことは、すべてが分かるということなんですね。

そして、いま生きている私たちの意識も非物質ですから、こうした「すべて」と繋がっているとスピリチュアルでは考えます。

しかし私たちはそのことを実感できません。
それは意識が肉体と同化しているため、肉体からの信号(五感)ばかりを感じてしまうためなんですね。
五感からの信号に対して、非物質世界からの信号は桁違いに弱いためかき消されてしまうんです。

それでも私たちの意識は、どこかでこうした非物質世界との繋がりについて感じているのでしょう。
だから自分でどうにもできないときには「神頼み」をしてしまう。

つまり神頼みって、非物質世界に答えを求める行為なんです。

神頼みの効果は簡単には実感できない

あなたの意識がどこかで知っている「非物質世界」との繋がり。

そしてその繋がりから、自分がなにをすべきかを教えてくれる、ということも知っている。
でもそれがどうしてかは・・・分からない。
だから「神」という仮想の存在を仕立て上げ、それが自分に力を与えてくれると信じる。

これが神頼みの正体です。

実際にはあなたの意識が非物質世界と繋がって何らかの情報を得て、その情報をもとに無意識に行動する。
やがてあなたのもとにあなたの望んだ結果が手に入る。

しかしながら物質世界は非物質世界とは違い、あらゆるものが独立して存在していますから、あなたの起こした行動が何らかの結果として姿を現すのには時間がかかります。
それが1週間なのか1ヶ月なのか1年なのか、はたまた10年なのか・・・

ですから神頼みして10日経つのになにも変化が起こらない。
やっぱり神頼みなんて効果ないよな・・・なんて思っちゃうんですね(笑)
つまりすぐには実感できないものなんです。

物質世界に生きる私たちにできるのは、神頼みの効果が出るように祈ることだけ。

そしていつしか、神頼みしたことさえ忘れた頃に願いが叶う・・・
それでも神頼みには効果があるんです。

あなたの神頼みはあなたの意識を通して非物質世界に伝わります。
非物質世界はすべてが繋がっていると説明しましたが、あなたの願いは関連するものにしっかりと伝わっていきます。

それにより、あなたの願いを叶えるために必要な出来事が起こり始めるんです。

あなたが「彼女が欲しい!」と神頼みしたのであれば、それを叶えるために必要な出来事が起きてきます。
例えば高校時代の友人の家に遊びに行ったときに友人の妹も一緒に食事をすることになり、それがきっかけで妹と仲がよくなり・・・なんて(笑)

なにが起きるかは分かりませんよ?

でも、神頼みってそうやって少しずつ叶っていくんです。
だからお金が欲しいと神頼みしたからってすぐに目の前に大金が現れるようなことはありません。
キーワードは「徐々に」なんですね。

世界中の人が神頼みしている

また、あなただけではなくあなたの奥様もあなたのお子さんも、あなたの友人も会社の上司も、そしてあなたとは縁もゆかりもない人たちもみんな神頼みをしています。
つまりみんなが自分の願いを叶えたいんです。

そう考えると、あなたの願いが叶うためにあなたの前に現れる人は、あなたとの出会いによってその人の願いを叶えるきっかけにもなったりするわけです。
ここで冒頭に説明した「類は友を呼ぶ」という現象が効いてくるわけです。

互いに協力し合って自分の願いを叶えようと考える人のもとには同じように考える人が集まり、他人を蹴落として自分がのし上がろうとする人の周りには同じようにあなたを蹴落としてのし上がろうとする人が集まってくる。

ですから「俺が俺がの我を捨てて、お陰お陰の下で生きる」のはとても大事なことだとお分かりいただけたのではないでしょうか?

まとめ

今回は神頼みの効果について考えてみました。

神頼みには間違いなく効果があります。
ただし即効性がないため、なかなかその効果を実感できないんですね。
そのメカニズムについてもスピリチュアルな視点で説明しました。

なにを寝ぼけたことを、と思いますか?

そう思うのはあなたの勝手ですが、そう思う前に少しだけ考えてみてください。
あなたの過去にも「今の自分があるのはあの時の出来事があったから」という経験はありませんか?

もしかしたらその出来事はあなたが神頼みした結果かも知れませんよ?

結果は神のみぞ知る(笑)

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