人は誰でもふたつの側面を持っています。
そのふたつの側面とは、
・人と同じでいること
・人とは違っていたいと思うこと
意味合いとしては正反対ですが、どちらも非常に重要な側面です。
誰もが持っている「ふたつの側面」
このふたつの側面について、まず見ていきましょう。
人と同じでいる意味とは
「社会」というコミュニティで生きている以上、その社会の一員として認められ、かつ安心していられるためにコミュニティ内ではみ出すことは自殺行為と言えます。
そのため「みんなと同じ」でいることは自身の身を守る意味でも重要な要素です。
そこからはみ出した途端、そのコミュニティの中では生きていけなくなってしまうでしょう。
そしてみんなと同じでいるために「ルール」が作られます。
家族の一員として守るべき「ルール」、学校というコミュニティにおける「ルール」、会社における「ルール」、車社会における「ルール」、国民としての「ルール」・・・
規模の大小は違いますが、そのコミュニティの一員として守るべきさまざまなルールが存在しそれを守るという基準において「みんなと同じ」でいることを求められます。
本来、人間は自由な生き物であるはずですが、生まれてから今日までありとあらゆるコミュニティに属しながらルールに縛られて生きているため、ルールを守ることが当たり前のようになっています。
そういう意味ではこうしたコミュニティ内におけるルールから外れることをするのは「良くないこと」という認識が私たちの意識の中にすり込まれていると言っても良いでしょう。
ルールを守らないとみんなと一緒でいられない。
みんなと一緒でいないとコミュニティからはみ出してしまう。
それは避けたい・・・
これはある意味「個」の否定とも言えます。
みんなと同じであろうとすることでますます「個」が失われていきます。
学校のルールで制服が決められそれを着て通学する。
サラリーマンはスーツ、OLは会社のユニフォーム、物流事業者や製造現場の作業者は作業服、駅員は鉄道会社の制服・・・
それらは機能性を考えた結果である、という側面も勿論あることは分かっています。
でもそれだけが理由であれば、同じデザインの制服を着なければならない理由はないですよね?
そうやって「個」が消され、やがて「個」は失われていくんです。
コミュニティ内で「みんなと同じ」なのはある意味とても便利です。
何も考えずにルールに従っていれば良いわけですから。
決められたことをただただ愚直にこなしていれば良い・・・楽ですよね。
でも、こうした状態は人から「思考」を奪います。
この「思考停止」は徐々に効いてきます。
「みんなと同じ」がもたらす思考停止
はじめは決められたルールの範疇に関して「何も考えずルールに従っていれば良い」と思っていても、気付くと徐々にこの「思考停止」が拡がっていきます。
最初は「ルールだから」ということでそのルールを守っていても、それが徐々に「課長がそう言うから」とか「お父さんが嫌がるから」「それをすると先生が怒るから」とかいう、本来のルールの範疇を超えたことにまで盲目的に従うようになっていきます。
だって、言われたことに従っている方が楽ですからね(笑)
こうした「思考停止」はコミュニティの正常進化という流れを鈍化させます。
つまり、コミュニティそのものが凝り固まったものになっていくと言うことです。
そしてコミュニティの内部にいるメンバー(学校であれば生徒だったり、企業であれば社員だったり)はだんだん居心地が悪くなっていきます。
そりゃそうですよね、何も考えなくていいから楽ではありますが、変化に乏しい毎日、いわれとことをただ漫然と実行する毎日なんて楽しいはずありませんよね?
そのうち理不尽なことまでも従わなければならなくなっていく・・・
これがコミュニティのもつ「閉塞感」の正体です。
自分は他の人とは違う・・・のでしょうか?
このままの状態が長く続けばそのコミュニティはそう遠くない将来、消滅します。
企業でそれが起きれば、時代の変化に柔軟に対応できず収益圧迫による事業縮小か最悪の場合倒産なんてこともあり得るでしょう。
企業の場合、利益追求が株主に対するミッションである以上、経営者は黙って倒産していくのを指をくわえて見ているわけにはいきません。
しかしながらその経営者も「閉塞感を作り出した側」の存在ですから、せいぜい「なんとかしろ」と部下にかけ声をかけるくらいしか出来ません。
そして部下は「経営者が何とかしろ、というから」と、利益確保に動き出します。
でも思考停止集団ですからそう簡単に業績が回復するなんてあり得ません。
結果、うわべだけでも繕おうとする・・・粉飾決算とか。
多くの企業はここまでひどくはないでしょう。
でもその「片鱗」は随所に見られるはずです。
だったらどうすべきか?
今までとは「違うこと」をするしかありません。
これに気づきはじめた人が「今までとは違うアイデア」を求め始めるんですね。
そこからコミュニティは少しずつ変化していきます。
コミュニティから「はみ出す」勇気がありますか
とはいうものの、気付く人はごく少数です。
その人が「これまでとは違う」なにかに言及しても、ほかの人たちは冷ややかにをれを見ていることでしょう。
だって、大多数の人たちはまだ「思考停止」状態のままですから。
思考停止状態の人は変化を嫌います。
変化にはそれなりの代償を払う必要がるからです。
現状を変えようとすれば、自分の仕事が増える・・・それはイヤだ、とか。
さて、あなたに質問です。
あなたが「これまでとは違う」なにかを求めて声を上げる立場だとして、
あなたは他の人たちを「敵に回す」勇気がありますか?
その勇気があるなら、思いきってそのコミュニティから「はみ出し」ましょう。
声を大にして「今までと同じことを繰り返していても何も変わらない」と叫びましょう。
誰も振り返ってくれないかもしれません。
それどころかそのコミュニティに居づらくなってしまう可能性もあります。
それでも声を上げ続けることが出来ますか?
もしかすると、志なかばで力尽き思考停止集団に再び絡め取られてしまうかもしれません。
それでも「人とは違う」ことを貫き通すことが出来ますか?
さすがにそこまでする勇気は無いな・・・
そう思うのであれば悪いことは言いません、他の人たちと同じでいることをお勧めします。
そこまでする勇気がある者のみが「人との違い」を享受する資格がある。
このことは決して忘れないでくださいね。
ここまで来てはじめて「アイデア」の話ができる
いいですか?
あなたにどんな素晴らしい「他の人とは違う」アイデアがあったとしても、声を上げる勇気が無ければそれは単なる「絵に描いた餅」に過ぎません。
どんなに美味しそうに見えても「絵に描いた餅」は食べられませんよ!
仮にいま、あなたに「人とは違う」アイデアがないとしても変化を受け入れる勇気があれば、アイデアなんて後からいくらでもついて来ます。
変化を恐れない人は「こんなことをしたら部長になに言われるか分からん」とか「さすがにこれはお父さんには言えないな」みたいな「制約」がありませんから、発想に自由度が出てきます。
良いアイデアは自由な発想から生まれてくるものですから、発想に足枷がないことが絶対条件となります。
ここまで説明すればもうお分かりですね?
他の人とは違うアイデアを生み出すために、センスなんて大して必要ないんです。
必要なのは「足枷のない自由な発想」これだけです。
これさえあれば、センスなんて後からいくらでもついて来ますから。
まとめ
今回は他の人とは違うアイデアの生み出し方について、独自の視点から説明してみました。
巷にはさまざまな方法論が溢れています。
ノウハウという意味で、それらの方法論は決して間違ってはいないと思います。
思いますが、最も肝心なのはそんなノウハウなんかじゃありませんからね!
他の人とは違うアイデアを生み出すために必要なのは何よりも「自由な発想」です。
そして自由な発想は「他の人とは違う」ことを恐れない勇気が必要です。
それさえあなたが持つことが出来れば、アイデアなんていくらでも出てきます。
唯一、難しいのは「その勇気を持つこと」かもしれません。