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理解に時間がかかるのは当たり前!悩む必要は全くない理由とは?

理解に時間がかかるのは悪いこと? 考え方のノウハウ

自分は理解力が乏しいのでもっと理解力をつけたい。
理解するのに時間がかかる、このままだと先が思いやられる。

こんな悩みを持っている人って多いんじゃないでしょうか?

でもこれって、みんな同じだと思いますけど・・・
多少の差はあれ、相手の言ったことを理解するのに時間がかかるのは当然のことでしょう。
時間がかからない人って理解せずにリアクションしてるだけなのでは?

なんて勘ぐりたくなります(笑)

ですから「理解するのに時間がかかる」ことは悩むようなことではないんです。
今回はそのことを徹底的に掘り下げてみたいと思います。

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そもそもなぜ「理解」には時間がかかるのか?

そもそもなぜ相手の言っていることを理解するのに時間がかかるのでしょうか?

それはあなたの考えとは「違う」からですね。
もちろん、近い考えというのはあります。
しかしまったく「同じ」ではありませんから、多少なりとも時間がかかるんですね。

これは考えてみれば当然のことで、人間は個々がみんな違った考えを持っていますからどんなに近い考えだとしてもそこに僅かな「考慮」が発生します。
あなたの考えていることと違えば違うほど「考慮」に時間が必要になります。

そして「なるほど、あなたの言っていることはそういうことだったんですね」と自分なりに納得してはじめて「理解した」と感じるんです。
ですから時間がかかって当然なんです。

理解に時間がかかるのは理解力が無いからではない

でも、相手の考えを自分なにり納得するまでの時間が長いということは「理解力が無い」ということなんじゃないの?
とお考えですね?

いいえ、そんなことはありませんから安心してください。

よく「あいつは1言えば10理解する、見所がある」なんて言いますが、あれ嘘ですからね。
1しか言わないのに10理解するなんて神さまじゃあるまいしあり得ませんから。
そういう人がなぜ相手から言われた以上のことを理解できるのか?

そのカラクリを説明しましょう。

相手の言うことを「先読み」できる人

実はあれ、相手の言うことを「理解」しているわけではないんです。

ただ相手が言ったことを自分なりに先読みして拡大解釈しているに過ぎません。
ですから1を聴いて10理解したわけでもなんでもなくて、1聴いた内容から勝手に10まで自分なりの解釈をしているだけなんですよ(笑)

そして1言った側も、1言っただけで自分の考えを10まで完全に理解できたと思っているわけでもありません。
ただ、自分の考えを少しだけ伝えたら自分の考えに近い理解を10までしてきた。
それだけのことです。

伝えた側もそれを聞いた側も、自分の勝手な解釈です。

伝えた側は「お、あいつ俺の言ったことが大体理解できてるな・・・」と勝手に思っている。
本当に理解できているかどうかなんて分かりませんよね、根掘り葉掘り確認したわけじゃないんですから。

そして聞いた側も当然ながら「勝手に」理解できたと思い込んでいるだけです。
本当に理解できているかどうかなんて本人にも分からない。
ただ相手が「お、分かってるねキミ」とかいうから分かったような気になっているだけで(笑)

お互いに相手のことなんかこれっぽっちも分かっちゃいないんですよ。
だから先読みした内容が的外れだったりすれば平気で「おまえ、なんにも分かってないな」「まだまだだなお前も」とか言っちゃうんです。

でも良いんですそれで。

そんなもんです、人と人とのコミュニケーションなんて(笑)
そんな簡単に相手の考えが理解できるわけがない、ということを互いに分かった上で成り立っているんですから何の支障も無いわけです。

相手の考えを本当に理解できる人なんていない

あの人は自分のことを理解してくれている、という言い方をするとき、それは「100%の理解」を指してはいないことに留意しましょう。

人間はそれぞれが独立した「個」の存在です。
相手と交わっているところなんてひとつも無いんですから、そんな相手の考えを100%理解できるわけがないんです。

はっきり言いますが、どんなに努力しても100%理解するなんて「不可能」です。

なぜなら人間はそれぞれが「個」であるがゆえ、あらゆるものごとを「自分」を通してしか見ることも理解することも出来ないからです。
ちょっと理解しにくいですか?例を挙げてみましょう。

あなたは友人と二人で並んで丘の上から景色を眺めています。
同じタイミングで同じ場所から風景を眺めているのですから、二人に見えている景色は同じもののはずですよね?

違うんです。

見えている景色は同じとは「言い切れない」んです。
その証拠に、丘を離れてから喫茶店にでも入ってコーヒーでも飲みながら見えたものを互いに言い合ってみてください。

ほとんどは同じようでしょうが、まったく違うものを見ていることも少なくないんですよ。

たとえば、高い建物の横にあるものをあなたは教会だと言い、友人はログハウスだと言うかもしれません。
どちらが正しいのでしょうか?

これは二人でその教会だかログハウスだかの前に行ってみれば正解が分かりますね。
でも普段の会話の中で、互いが「同じ」理解をしているってどうやって証明しますか?
これ、不可能なんです、どこまでいっても。

理解に時間がかかる人は「優しい」人

だいぶ分かってきたんじゃないですか?

相手の考えを完璧に理解することなんて「不可能」なんですよ。
多くの人はそのことを感覚的に「知って」いるんです。
だから自分なりの勝手な解釈で「先読み」する・・・

これは相手の考えを理解したのではなく「自分の勝手な解釈で素早く反応」しただけに過ぎません。
決して理解したわけじゃないんですね。

理解する努力もせず素早く反応するだけですから、そりゃ早いですよね(笑)
でも私はこの態度、決して褒められたものではないと思っています。

どうせ相手の考えなんて理解できないんだから、自分の勝手な解釈でやれば良いじゃん。
それで間違えたらそのときに修正すれば良いんだから。
そんなに深刻に一生懸命考えるなんて時間の無駄、さっさと先に行こうぜ!

極論すればこのように考えているのでしょう?

世の中の大半の出来事はそれでも問題になることはないでしょう。
でも私なら、こうした人とは仲良く付き合いたいとは思えません。

理解に時間がかかる「理由」とは?

理解に時間がかかる人というのは、相手の考えを可能な限り理解しようと努力する人です。
相手の考えに触れ、それってどういうことだろうか、こういうことか、いや待てよ、そうじゃない、そうじゃなくてこうだ、でもそんなに単純か、いやそんなはずはない、もっと何か深みがあるはず、てことはどういうことだ・・・

とまあ、こんな禅問答のようなことを自分の中で繰り返しているわけですね(笑)

でもそれって、相手の考えをできる限り正確にくみ取ろうとしてやっていることでしょう?
これはとても素敵なことだと思うんですよ。
相手の考えを適当に解釈せず、自分の出来うる限りの努力で理解しようとする。

これって、相手に対する「優しさ」だと思うんです。

ですから理解に時間がかかるのは相手に対する誠意でもあり、いい加減に自分なりの解釈をしない分、当然ながら理解に時間が長くかかってくるんです。
そういうことができる人が、理解に時間がかかる人なんです。

悩む必要なんて全然ない!

ネットの悩み相談には、この「理解に時間がかかる」ことへの相談がたくさん寄せられています。

中には学校の先生から「おたくのお子さんは理解するのに時間がかかる」と言われたという相談もあり驚きました。
はっきり言いますが、その先生は教師としてはレベルが低いです。

クラスの子供の理解に時間がかかるのは悪いことでもなんでもありません。
生徒の方に責任があるように言うのは教師の責任の放棄です。
この場合、まず先生は「自分の理解させるスキル」を確認すべきなんです。

特に子供は大人のように、相手の考えを先読みしたりしませんから、納得できなければ「分からない」という態度を続けるでしょう。
他の生徒よりも早く答えると、先生に褒められるため、子供たちは褒めて欲しくて早く答えようと頑張ります。

他の生徒よりも早く答えるためには「より早く先読み」する必要がありますから、日々の学校の授業は「先読み」の練習の場としてはうってつけなんですね(笑)
こうして大人になるに連れ先読みが得意になり、そのぶん相手の言うことをしっかり理解しようとしなくなるんです。

これは日本の教育システムがそうなっている以上、致し方ないことです。

しかし「理解に時間がかかる」ことは良いことではあっても決して悪いことではない、ということを理解していただきたいです。
ですから悩むようなことでもないんですよ。

まとめ

今回は「理解に時間がかかる」ことについて考えてきました。

時間がかかることは決して悪いことではありません。
相手の考えに正面から向き合い、可能な限り理解しようと努めるその姿勢が「理解にかかる時間」なんです。

ですから悩んだりせず、これからは堂々と時間をかけて理解に努めてください。

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