自分は飽きっぽくて何ひとつ長続きしたことがない。
家族や友人から「おまえ飽きっぽいな」といわれる。
彼女から「その飽きっぽい性格どうにかして」と責められる。
あなたもこんな風に言われたこと、あるんじゃないですか?
かくいう私も妻や家族、昔の友人から「おまえは飽きっぽい性格で困る」などと言われてきました(本人に自覚は全くないんですが(笑)
なんとなく世間一般には「飽きっぽい」というのはあまり良くないことのように言われることが多いですが、本当に飽きっぽいことは良くないことなんでしょうか?
私は決してそんなことはないと思っています。
むしろ「飽きっぽい」ことはとても素晴らしいことだと思っています。
みんな飽きっぽいことの素晴らしさに気が付いていないだけなんですよ。
というわけで今回は「飽きっぽい」ということについて考えてみたいと思います。
飽きっぽい人の特徴とは?
まず、飽きっぽい人とはどういう人のことなのか?
そこを明確にしておきましょう。
飽きっぽい人とは「多くのものごとに興味や好奇心を持ち片っ端から手に取ってみるが、どれも短期間で興味を失ってしまい、中途半端な状態でやめてしまう」人のことです。
・鉛筆で絵を描くけれども色を塗る前に飽きてしまい線画までで描くのを止める。
・部活でサッカーを始めても、半年もしないうちに止めてしまう。
・面白そうな本を買って読み始めるが途中で飽きてしまい最後まで読んだためしがない。
何をやらせても決して長続きしない・・・
親の立場でこのような子供を見ると心配になる気持ちは分からなくはありません。
みんなは途中で投げ出すことなく続けているのに、うちの子はすぐに飽きてしまい放り投げてしまう・・・
この飽きっぽい性格、なんとか直すことは出来ないかしら?
本当にそうでしょうか?
なぜ飽きてしまうのか?
飽きてしまうこと自体が悪いのでしょうか?
私はそうではないと思っています。
先ほどの例を見てみましょう。
絵を書くことに途中で飽きてしまう子供
鉛筆を使って絵を描く子供。
一生懸命に何かを書いています。
かなり細部に至るまで丁寧に鉛筆で書き込んでいきます。
それを見たお母さんは「まあ上手に書けたわね、じゃ色をつけましょう」と言いながらクレパスとか絵の具とかを用意してあげる。
子供は途中までは色をつけていくのですが、完成する前にやめてしまう。
それを見て母親は「なんて飽きっぽい子」と思ってしまうわけですね。
でもちょっと待っていただきたいんです。
子供が色塗りを途中でやめてしまったのは本当に飽きちゃったからでしょうか?
もしかすると、子供は鉛筆による線画を書き終えた段階で自分の「作品」として十分に満足出来るものになっていたのかもしれません。
だとしたら、完成したものにさらに色を塗る、という行為は子供にとっては意味のないものと感じられるかもしれませんよね?
それでもお母さんが色を塗れというから塗ってはみたものの、自分の作品のイメージが異なったものに変化してしまった・・・色を塗ったというより絵の具で「汚れて」しまったと感じたかもしれません。
で、やめた。
だとしたら、これは絵を描くことに「飽きた」のとは違いますよね?
部活を半年でやめてしまった中学生
部活でサッカーを始めてはみたものの、半年もしないうちにやめてしまった。
理由を尋ねると、サッカー部でサッカーをやるのと並行して美術部にも興味があり、両方やるのは難しいのでより興味のあった美術部に専念するためにサッカー部を止めた・・・
だとしたら、これは二者択一の結果であり「飽きた」からではないですよね?
最後まで本を読まずに投げ出してしまう人
最後まで本を読めない人って、結構いますよね?
面白そうな本だと思い購入して読み始めてはみたものの、展開がトロくて読んでいてイライラしてしまう。
それに自分が思っていたような内容の本でもないようなので、途中で読むのをやめた。
得てして「本を読む」という行為にはこういうことはつきものです。
なぜなら本を購入するときは「内容を知らず」に買うからです。
タイトルや帯、目次や作家のプロフィールなどを頼りに「面白そう」かどうかを判断して購入するわけです。
今も昔もそうですが、書店では長時間の立ち読みはできません。
ですから限られた情報から「この本は面白い本か」を判断して購入するわけですね。
ちょっとした裏話ですが、私が過去に本を出版した際にお世話になった方から言われたのは「本のタイトル、表紙のデザイン、帯など、パッと見た際に目に飛び込んでくる情報で売れるかどうかが90%以上決まる」とのこと。
そこで目に止まらなければ、内容がどんなに優れていたとしてもその本は売れないんだそうです。
勝負がつくまでにたったの3秒。
そこで興味が持てれば本を手にとってもらえる(笑)
その後、本をパラパラと眺めるのですが、どこを見るかというと「目次」と本の最後にある著者の「プロフィール」なんだそうです。
目次を見て面白そうか、著者のプロフィールを見て気に入るか。
ここまでチェックして、それで購入するかどうかを決めるんだそうです。
でもここまでのプロセスで本の「中身」に関してはいっさい見ていないことにお気づきですか?
当然ですよね、本の内容を知っていたら本を購入する意味なんてないですもんね(笑)
買って読み始めるまではその本が面白いか、期待した本か等、何もわからないんです。
ですから購入して読み始めたは良いが「期待したほどじゃなかった」なんてことは日常茶飯事として起こることなんですね。
だとしたら、本を途中で読むのをやめるのは「飽きた」からではないですよね?
ここまで3つの例について見てきました。
もちろん、本当に飽きてしまい途中で投げ出しているケースもあるかもしれませんが、そうではないケースも多々あるんだということなんです。
長続きしないのは「飽きっぽい」からじゃない
上記で紹介した例以外にも、飽きっぽいと言われてしまうものはたくさんあります。
・せっかく入った会社をすぐに辞めてしまう、何度も転職を繰り返す
・恋人と付き合い始めるが、3ヶ月と持たずに別れてしまう
・いろいろなダイエットを試してみるがすぐにやめてしまう
これらについても先程説明したような「飽きっぽい」ことが理由ではないケースはいくらでも考えられます。
何度も転職を繰り返す
転職を繰り返す人を指して「あいつは飽きっぽい」とか「社会人としての自覚がない」みたいなことを言う人が未だにいることに驚きを隠せませんが、こういうこと言う人って未だに結構多いようです。
いいですか?
会社や仕事にやりがいを持てば、すぐにやめようなんて考えるはずがない、みたいな原始時代の考えはしないでくださいね。
どんなに「やりたい仕事」「行きたい会社」だったとしても、会社の仕事は100%人間関係で決まりますから。
自分が配属になった部署、上司、同僚などが自分に合わなかったら、ほぼ間違いなく続きません。
そういう環境で我慢し続けることで、心が壊れてしまう人が増加し続けています。
そして一度心が壊れてしまうと、完全に治るまでに何年も、下手をすれば10年以上かかることだってあるんです。
メンタル心理カウンセラーの立場から申し上げれば、我慢なんかせず自分が壊れてしまう前にその会社を辞めることも選択肢として検討したほうが良いです。
自分を守るために、転職をすることは決して悪いことでも恥ずかしいことでもありません。
それを「飽きっぽい」みたいな無理解な考えで責めてしまうことは厳に慎むべきです。
むしろ、そうした人がやめざるを得ないような職場環境を許し続けている会社を責めるべきと私は思います。
恋人との関係が長続きしない
恋人との関係が長続きしない・・・これは相手のこともあり少々深刻ですね。
恋人としてお付き合いを始める、というのはお互いの了承事項であるはずですから、どちらか一方が「もうやめよう」と一方的に宣言しない限り関係は続きます。
ですから長続きしない、という状況は何らかの理由で「もうやめよう」と早々に宣言してしまうということでしょう。
これはなぜなんでしょう?
やはり相手に「飽きた」から?
宣言される側からすれば、私に飽きたのね、と思いますよね・・・
でもそうじゃないんです。
お付き合いしてみて、何かが「そぐわない」と感じたのでしょう。
それは飽きるとか、そういう次元の話じゃないと思うんです。
そぐわない「なにか」があるにも関わらず付き合い続けるほうが不誠実だと思いませんか?
二人の付き合いが真剣なものならなおさらです。
どちらかが何らかの「そぐわない」感覚を持ちながら、それでもそれを心のどこかで我慢しながら付き合っていき、そのまま一生の伴侶とできますか?
そういう観点で見ると、恋人関係が長続きしないのは「飽きっぽい」のとは違う次元の話だということがわかりますね。
ダイエットスパイラル
痩せたい!
その思いから様々なダイエットを試してみるけど効果なし。
新しいダイエットが話題になると「今度こそ!」とばかりに飛びついては結果が出る前に諦める・・・
これを繰り返す人のことを「ダイエットスパイラル」にハマった人と呼んでいます。
ダイエットなんてどれでも「痩せるまで続ければ必ず痩せる」と主張する人がいます。
そうかもしれませんが、それって「どっち向きに歩き続けたって、地球1週歩けば戻ってこられる」と言っているのと大差ないです。
間違ってはいませんが、現実的じゃない。
言っていることは正しいけれど、誰がそれをやるの?
誰もやらない(あるいは僅かな人しかやらない)ダイエットって、誰でも簡単に痩せられる、みたいな宣伝文句を並べ立てていても、そんな簡単に結果が変わるようなものじゃないんです。
しばらくやって痩せなければ、普通はやめるでしょう?
痩せる、ということに苦労したことのない人は軽々しく「飽きっぽいねぇ、長続きしないねぇ」などと言いますが、そういうことじゃないんです。
飽きっぽいって、実はとっても素晴らしい!
ここまで、飽きっぽいと言われている人を擁護(笑)してきました。
飽きっぽい人、と言われるのって世の中的にはなんとなくマイナスなイメージが強いですが、全然そんなことないですからね。
飽きっぽい人とは「多くのものごとに興味や好奇心を持ち片っ端から手に取ってみるが、どれも短期間で興味を失ってしまい、中途半端な状態でやめてしまう」人のことしたよね?
これってそれだけ世界に興味がある、ということでしょう?
それでなくても世界には面白いことが数え切れないほど溢れているわけですから、それらに手を伸ばすことって、むしろ普通なんじゃないでしょうか?
いろいろなものに手を伸ばし試してみる。
それが自分にとってマッチするものでなければさっさと手放す。
そして次のものを物色する・・・
興味のないものを中途半端な状態で投げ出すのは当たり前でしょう?
中途半端で投げ出さないことを目的に、興味が持続しないものをいつまでも続けていくことって、むしろ時間の無駄じゃないですか?
何でもかんでも面白そうだと思ったものを片っ端から手を出してみる。
興味が持てなければ手放せばいい。
でもそんな中に、一生涯付き合っていけるものと出会うことだってある筈です。
あいつ、メッチャ飽きっぽいくせに○○だけは飽きもせずに続けてるよな・・・
どんなに飽きっぽいと言われる人にだって、こういうもののひとつやふたつはあるものです。
え、まだない?
大丈夫、これから現れるかもしれません。
今までどおり、片っ端から興味を持って世界を楽しんでいけば良いんです。
まとめ
今回は「飽きっぽい」ということについて考えてきました。
飽きっぽいことは決して悪いことじゃありません。
むしろ人生を自分の思ったとおりにエンジョイしていくためには必須の能力とも言えます。
周りからなんだかんだ言われたって気にすることはありません。
今までどおり、その飽きっぽさ全開で人生を突っ走っていきましょう!
誰に何を言われたって、あなたの人生あなたの自由なんですから。