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壁を乗り越える方法は努力だけではどうにもならない場合がある

壁を乗り越える方法 既成概念を打破する

人生の壁の乗り越え方を知りたい。
見えない壁にぶつかったとき、どうやってその壁を乗り越えるのか?
努力では超えられない壁を乗り越えるにはどうすれば良いか?

あなたもこれらと似たような考えを持ったことが、一度や二度はあるでしょう?

そしてその答えのほとんどは、
「努力して超えるしかない」
みたいな、とても無責任なものばかり・・・

この手の疑問と回答について、私はだいぶ前から違和感を覚えています。
なぜみんな、判で押したように壁を乗り越える方法を知りたがるのでしょうか?
「壁を乗り越える」ということに何の疑問を持つこともなく、誰も彼もが盲目的に壁を乗り越えようと躍起になっている・・・

あなたはなぜ「壁を乗り越える」のでしょうか?

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壁の向こうには素晴らしい世界が待っていると思っていないか?

まず、あなたの・・・というよりも多くの日本人の持つ既成概念を打ち砕くことから始めましょう。

多くの日本人が疑うことなく当たり前のこととして認識している「努力して手に入れる」ことは「良いこと、素晴らしいこと」という考え方は正しいと思いますか?

一般的にはこの考えは正しいと言えるでしょう。
しかしこの考えを何の疑いも持たずに受け入れてしまうことは危険です。

手に入れたいものがある → 手に入れるために努力する → 努力の甲斐あって手に入る。

たいがいのものはこの方程式に当てはまってしまうため、ある錯覚に陥ります。
それは「どんなものでも例外なく」努力すれば手に入る、と思ってしまうことです。
そして手に入らないとすれば、それは「努力が足りない」からだと思い込む。

ひとつのたとえ話をしてみたいと思います。

陸上競技男子100メートル走のタイムは1912年にアメリカのドナルド・リッピンコットが10秒6という世界記録を出してから、長い年月にわたり10秒の壁というのが存在していました。

いくら頑張って走っても10秒を切るタイムを出すことが出来ない。
100メートルを10秒を切って走るのは人間の肉体的に不可能なことなのか、とさえ言われたこともありました。

ところが、1968年にアメリカのジム・ハインズが世界で初めて9秒9というタイムをたたき出し、ついに「10秒の壁」は崩れ去りました。

面白いもので、ハインズが10秒を切るタイムで走って以降、10秒を切る選手が次々に現れます。
そして現在ではジャマイカのウサイン・ボルトが2009年にたたき出した9秒58が世界記録となっています。

この事実から「人間、努力を惜しまなければどんなに高くて険しい壁だって乗り越えていくことが出来る」という教訓めいた話がさまざまな場面で語られるようになっています。

私はこのことを否定するつもりは毛頭ありません。
素晴らしいじゃないですか、努力を重ねて手に入れたいものを手に入れる。
あなたにも手に入れたいものがあって、それを手に入れるために努力を惜しまない覚悟があるなら、目の前の壁がどんなに高くても頑張って乗り越えてください。

でもこれは「手に入れたいもの」が明確な場合に限る、ということが条件です。

なんでもかんでも努力すれば良いってもんじゃない

自分ではたいして手に入れたいと思っていなかったり、何が手に入れたいのかが明確でなかったり、手に入れたいものが自分の身の丈を遙かに逸脱したとんでもないものだったりした場合、それでもこの「壁を乗り越える」と言うことを続けることが「正しいこと」と言えるのでしょうか?

壁を乗り越える努力に疲弊してしまう

周りの友人がみんなクルマを買ってドライブに行くので、自分もクルマを買おうかな、と思い貯金を始めたとします。

でもあなたは何が何でもクルマが欲しい、というわけでもありません。
別にクルマがなければ電車やバスで行けば良いじゃん、と思っている。

そんな状態でクルマを買うために他に欲しいものも我慢してお金を貯めるのは結構辛いと思いませんか?
それよりも大好きな釣りのために欲しかったリールを買う方が余程ワクワクしませんか?

また、会社で身の丈に合わない大きな売り上げ目標を背負わされ、それに向けて毎日頑張って仕事をするも、なぜか仕事がはかどらない・・・
こんなことじゃダメだ、これは壁だ、この壁を乗り越えれば売り上げ目標達成がきっと見えてくるはずだ。頑張れオレ!

自分を鼓舞して仕事に精を出すのは悪いことではないと思いますが、心のどこかで「いくら頑張ったって目標達成は無理でしょ」との思いがあって、おまけに「なにもそこまで頑張らなくたって身の丈に合った仕事をすればそれでいいじゃん」なんて思いもあったりすれば、これは相当しんどい努力になりますよね。

こんな状態で「努力で壁を乗り越えるぞ!」なんてやっていると、あなたの心はどんどん疲弊していきます。

これはあなたの目の前の壁を乗り越えることに魅力を感じていないからですよね。

現実的に考えられないほど壁がでかい

もうひとつ、手に入れたいとは思っていてもあまりにそれが自分の身の丈に合わないものの場合、そもそも真面目に取り組む気にならないでしょう。

たとえば、60才を過ぎてトライアスロンに挑戦するとか。

もちろん不可能ではないでしょう。
ある程度高齢でトライアスロンをやっている人だっていると思います。
でも、オリンピックを目指すとか考えるとしたらそれはやはり現実的とは言えないでしょう。

肉体的に相当老化も進んでいるでしょうし、それで肉体的に絶頂期の若いアスリートと互角の勝負をするというのは、はっきり言って無茶苦茶です。

それでも「人間には不可能はないんだ」とか意味不明に煽る自己啓発書とかもありますが、気持ちの上で「不可能はない」と思うことと肉体的に「不可能はない」と言うことは別問題であることは分かりますよね?

こういう「無茶な」目標に向けて努力しようとして、それを乗り越えるための具体策を考えると、普通は気が萎えます。

ここで「私があと30歳若かったらな」というセリフが口をついて出る。
これは至極自然のことだと思います。

乗り越えてはいけない壁もある

さて、努力して壁を乗り越えようとしているあなたの既成概念をもうひとつ壊しておきましょう。

目の前に立ちはだかる壁。
これを頑張って乗り越えれば、そこには求める世界が待っている!
とばかりにがむしゃらになって壁を乗り越えてみたところ・・・

あれ?
また同じような壁が・・・
よし、これも乗り越えるぞ、そうすれば・・・

あれ?
また同じような壁・・・
どうなってんの?

それ、乗り越えちゃいけない壁ですから(笑)

あなたが進むべき未来に向けていくつもの道が存在しています。
その中で「間違った」道に進もうとした場合、現れてくる壁というのがあります。
この壁はあなたに「そっちじゃないよ、別の道を探しなよ」と教えるための壁です。

ですから間違って乗り越えてしまうと再び目の前に立ちはだかります。
「だから、超えちゃダメだって。こっちじゃないんだから」という具合に。

そうなんです。
壁には「乗り越えていくための壁」と「越えさせないための壁」があるんです。
なんでもかんでも乗り越えれば良いってもんじゃないんです。

超えてはいけない壁の見分け方

では、あなたの目の前に立ちはだかる壁がどちらなのかを見分ける方法はあるのでしょうか?

実はすごく簡単な「見分け方」があります。
それはあなたが壁の前に立って「どう感じるか」です。

乗り越えるべき壁の場合、きっとあなたはその壁を乗り越えるということに「ワクワク」するはずです。
ですから「ワクワク」を感じるなら、それは乗り越えるべき壁ですから遠慮なく努力して乗り越えていってください。

では乗り越えてはいけない壁の場合は?
あなたが乗り越えてはいけない壁の前に立ったとき、それを乗り越えるということに何らかの「違和感」を覚えることでしょう。

それは「不安」であったり「恐怖」であったり、あるいは「何も感じない」なんて場合もあります。
乗り越えるべき壁ならワクワクするはずですから、不安や恐怖のような感覚ではなく「何も感じない」というのも超えるべきではない壁であることを示している思って間違いありません。

その場合には、いきなり乗り越えようとはせず立ち止まってじっくりと考えましょう。
そして場合によっては「他の道」を探す勇気を持つことも大切です。

まとめ

今回は「壁を乗り越える」と言うことについて考えてきました。

乗り越えるだけが脳じゃない、ということを少しでもご理解いただけたなら幸いです。

人生100年時代、やれることもやるための時間もまだまだたっぷりとあります。
急がず慌てず、そして近視眼的にならず人生を謳歌していきましょう!

 

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